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治水神社 岐阜県海津市海津町油島にある 宝暦治水工事で、亡くなった薩摩藩士を祭る神社です。 主祭神 薩摩藩家老 平田靭負(ゆきえ)及び、 薩摩藩士84名 1938年(昭和13年)地元の人々の浄財で建立されました。 本殿 宝暦治水工事 宝暦4〜5年(1754年〜1755年)に薩摩藩が幕府の命で行った木曽三川の治水工事です。木曽 長良 揖斐の3河川は濃尾平野を貫通し、複雑に合流、分流をしている地形で、洪水が多発していました。九代将軍徳川家重は薩摩藩の財政弱体を目的に治水工事を命じました。水との苦闘は難工事の連続、その上度重なる洪水に工事費ははるかに超過し、幕府側の迫害や工事の難度に耐えかねて、自決した者、53名、病の流行で病没37名にも及びました。 工事の責任者薩摩藩家老平田靭負は工事が終わった後、莫大な費用と数多くの藩士が亡くなった事の責任を取り自害しています。最終的に要した費用は約40万両、現在の金額にして300億円以上と推定されています。 犠牲者の石碑 名前が刻まれています 境内には、木々が植えられています。 本殿横には大きなイチョウが色付いていました 石灯籠の傍には松と南天、マツボックリもありました。 神社の西側を流れる揖斐川です マキノキの小さな実です ジャノヒゲの実もあります 杉に花芽 花粉症の私には見たくないものです 千本松原 木曽、長良、揖斐川の三川分流工事に伴い、分流堤に約千本の松が植えられています。油島千本松原切提ともいい、国の史跡に指定されています。松の木は、当時九州から取り寄せた日向松とされています。 平田靭負 辞世の句 住み馴れし 里も今更 名残にて 立ちぞわずらう 美濃の大牧 西濃地方が現在あるのもこうした先人の偉業のたまものです。 中学校時代に、遠足でこの地を訪れ、 鹿児島から遠く離れた土地で難工事に携わり 命を亡くされた人々の話を聞いたことを思い出します。 この日も小学生たちが、社会見学で訪れていました。 11月30日 ![]() |
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